「才能」というのは、とてもあやふやなものですが、才能というのは確かに存在すると思います。
たとえば、人の筋肉の性質は遺伝する(人によって生まれ持った性質がある)と言われていて、
海外では、100m走を9秒台で走る人は、けっこうたくさんいます。
日本人も、100m走で10秒を切る人もいるのですが、日本人が、ウサイン・ボルトと同じタイム(9秒58)で
100m走を走ることができないのは、トレーニングの差や努力の差ではなく、筋肉の性質が違うからです。
トレーニングや努力で埋めることができない差があるということは、これはもう、
生まれ持ったものがある(才能がある)と、言わざるえないのだと思います。
また、プロ野球選手の大谷翔平くんや 佐々木朗希くんみたいに、
高校生のときに160キロのボールを投げれるというのは、「才能がある」ということなのだと思います。
なぜなら、いくらトレーニングや努力をしても、160キロのボールを投げることができない人はたくさんいるからです。
実際にプロ野球選手も、本当にたくさんトレーニングをしていますけど、160キロのボールを投げられる人は、ごくわずかですよね。
このように、いくらトレーニングや努力をしても、埋めることができない差があるということは、
もはや、「才能がある」と言わざるをえないということです。
ほかにも、僕はよく分からない分野なのですが、、、
モーツァルトも、「史上最高の音楽の天才」と言われるということは、やはり音楽の才能があったということなのだと思います。
3歳でチェンバロを弾き始めて、5歳のときに作曲を始めて、35歳までに900曲くらいを書き上げるというのは、
他の人がどんなにトレーニングや努力をしても、きっと同じようにはできないことですからね。
また、将棋棋士の加藤一二三さんも、「63年間にした対局(2,505戦)をすべて覚えてる」と言われていたので、、、
やはり天性のもの(才能)があったのだと思います。
「才能」というのは、とてもあやふやなものですが、事実として、生まれ持ったものがあったり、
他の人がどんなにトレーニングや努力をしても同じようにはできないことが、実際にあります。
だから、才能というのは確かに存在する、ということです。