自分で言うのもなんですが、、、僕はもともと、性格があまり良くありませんでした。
人のことを考えることができなくて、空気を読むこともできませんでしたし、本当に、自分勝手という感じの子どもだったと思います。
友達からも嫌われていて、小学校のときに友達から、僕の名前である「takuma(たくま) の「t」を取って、akuma(あくま)」と言われたこともありますからね。
友達からも、このように言われるとは、そうとう「性格が悪かった」ということですよね。
■ 親からは、よく叩かれていた
そんな悪い子どもだったので、親は大変だったと思います。
言うことを聞かない子どもだったので、小さいころ、母親から叩かれた数は、かなり多かったです。
一度怒られると、何回も叩かれていたため、トータルで叩かれた数は、300回は軽く超えていると思います。
あまりに数が多かったので、叩かれた回数をノートに書いたこともありましたからね。(2回書いただけで終わりましたけど笑)
「痛かった」という記憶はないのですが、、、うずくまっているときに、背中を何度も叩かれたので、「バンバン!」という音をよく覚えています。
■ 外によく出されていた
そして、外にもよく出されました。
僕は小さいころ、古い一軒家に住んでいたのですが、僕が悪いことをすると、窓(掃き出し窓)を開けて、外に出されていました。
小さい庭に、砂利(小さな石)が敷いてあったのですが、その砂利の地面に投げられる形で、外に出されていましたからね。
当然、家から出されると裸足なので、外に置いてあったサンダルを履いて、何時間も外にいました。
そんな僕が考えたことが、外に出されたら、車の中にいるという方法です。
昔は、車のドアの鍵が開いていることが多くて、外に出されたら、車の中にいるようにしていました。
でも、それが母親にバレると、車の中から無理やり引きずり出されて、また砂利の地面に投げられるのですよね。
運転席のドアを開けて、後部座席にいる僕を無理やり出したので、座席とドアに挟まれて、苦しかったことをよく覚えています。
そして、夜になると、父親が仕事から帰ってきて、僕を家の中に入れてくれました。
そのときに、テレビで「北斗の拳」というアニメを見れたことが、嬉しかったですね。
外に出されているときに、「早く中に入れてくれないかな」とずっと思っていました。
■ 両親が僕のことを罵倒していた
注意されても、叩かれても、外に出されても、僕が良い子どもになるわけではなかったので、、、日常的に、両親からの罵倒はすごかったです。
父親と母親が、家の1階のリビングで、「だからあいつはダメなんだ!」、「情けない」、「あいつのこういうところが悪いんだ!!」と話しているのを、僕は2階の階段に座りながら、気づかれないように聞いているのが日課になっていました。
今、振り返って思うと、両親が二人で、ずっと僕の悪いところを言い合っているのを聞いていることが、一番辛かったですね。
叩かれる痛みや、外に出される辛さよりも、両親が2人で僕のことを罵倒しあっているのを聞いているときが、一番辛かったです。
■ 小学校のときに、死のうと思って、包丁を持ち出した
そんな僕が、「死にたい」と思ったのは、たしか、小学校5年生のときです。
台所にある包丁を、自分の部屋に持っていきました。
でも、実際に包丁の先端を指で触ってみると、細いのに、すごく固いんですよ!
「包丁ってすごく固いな、こんなので刺すなんて絶対ムリ!」と思ったことを、今でもよく覚えています。
でも、両親に気づいてほしかった僕は、家にある「包丁研ぎ器」で包丁を研いだら、先端が黒くなったのですよね。
僕は、「これで気づいてもらえる!」と喜んで、包丁を元の場所に戻しました(笑)
でも、結局、両親には気づいてもらえませんでしたけどね…。
僕の両親は、多くの人から好かれている、普通に優しい両親です。
だから、僕がそうとう悪い子だったということですよね?
確かに、今、振り返ってみても、僕は本当に頭も悪かったし、人のことを考えられない自分勝手な子だったと思います。(つまり、僕が悪い)
ただ、自分で「悪い」ということは分かっていたのですが、小さい頃の僕は、自分の性格を、どうやって変えれば良いのかが分かりませんでした。
「人に好かれたい」と思っていましたが、頭の悪かった僕は、自分の性格のどこが悪くて、何を変えたら良いのかが分からなかったのです。
生きる意味なんて、まったく分からず、「自分はダメで必要のない人間」だと思って、ずっと生きてきました。